室町時代から続く渡し舟と、その起源となった城跡を訪ねる港山の旅/三津の渡し・港山城跡(愛媛県松山市)

松山市の三津浜地区は、古くは松山の海の玄関口として栄えた港町で、今に残る近代建築や古民家などレトロな雰囲気が素敵に息づく注目のエリアです。そんな地域の風情を象徴するもののひとつが、『三津の渡し』です。

起源は500年以上前。あの人も乗船!?

細長く入り組んだ湾を挟んで向かい合う2つの地区、三津と港山の間約80mを結ぶ渡し舟『三津の渡し』。その歴史は古く、始まりはなんと室町時代。江戸時代には俳人小林一茶も、句会に出席するために乗ったと言われています。
現在も地域住民の大事な『足』であり、年中無休、無料で運航しています。運行時間は午前7時から午後7時まで。細かい時刻表は無く、乗客がたった一人でも乗ればすぐさま出航。自転車も乗せられます。

渡し舟が向こう岸にいる時は、乗り場にあるスイッチを押すと迎えに来てくれます。
でも、いつも船頭さんが気をつけて見ていてくれるので、「おーい」と呼んだり手を振ったりすれば気付いてくれますし、たいがい何もしなくても向こうから来てくれますよ。

ここは海。だけど『道』。

操舵席をちょっと拝見。立ったままで操縦するスタイルのようです。大正時代の始め頃までは水竿で操る小舟、その後も手漕ぎで、エンジン付きになったのは昭和45年(1970年)のことだそうです。
「ここの本当の名前は、松山市道高浜2号線よ!」と船頭さん。海の上を行く渡し舟ですが、市道の一部、つまり、れっきとした『公道』なのです。

お城がきっかけで生まれた三津の渡し

三津から乗船してわずか2分たらずで対岸の港山に到着しました。
港山には海岸からすぐのところに小山があります。山の頂にはかつて『港山城』があり、『三津の渡し』はその城兵の食料調達のために対岸へ船を渡したのが始まりと言われています。
城跡は現在山頂広場として整備されているそうなので、登ってみることにしました。

港山の船着場からそのまままっすぐ、2分ほど歩くと、左手に登山口が見えてきます。
立て看板港の説明によると、港山城は、建武年間(1334〜1336)に河野通盛が道後湯築城を築いた際に海の守りとして築城したという説と、1460年代に河野通春が築城したという説があるようです。

竹林の中を進む緩やかな坂道が階段状に整備されているので、楽に登ることができます。自由に使える杖も置かれていますよ。
途中、三津に向かう景色が望める場所からは、ちょうど『三津の渡し』が乗船客を乗せてこちらへ渡ってくるところが見られました。

続く歴史と消える歴史

ゆっくりと歩いて10分もしないくらいで、明るく開けた山頂に到着しました。
現在は城跡といえども城郭などの痕跡はありませんが、眼前に広がる景色が気持ちの良い場所です。

正面に見えるのは瀬戸内海に浮かぶ興居島です。富士山のような美しい形の山はその名も小富士。左手には一文字灯台、その向こうに小さく由利島も見えます。
この場所からかつて城兵たちも海を見つめ、その様子を監視し、城とこの地を守っていたのでしょう。
古に思いを馳せてつい時間を忘れて見入ってしまう、本当に美しい景色でした。

室町時代から運航を続ける『三津の渡し』と、儚く姿を消した城。正反対の道を歩んだ両者の歴史にしみじみと感じ入る、そんな港山の旅になりました。


三津の渡し
所在地/(港山)愛媛県松山市港山町、(三津)愛媛県松山市三津三丁目
最寄駅/
(港山)伊予鉄港山駅
港山駅へのアクセス
(三津)伊予鉄三津駅
三津駅へのアクセス
運行時間/7:00〜19:00
運休日/無休
電話/089-951-2149(松山港務所)
料金/無料
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/kuko/mituwatasi.html

瀬戸内Finderフォトライター 矢野智子

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矢野 智子

矢野 智子

1970年、愛媛県今治市生まれ。松山市在住。 大学時代を京都で過ごした後愛媛に戻り、システムエンジニアとして年の半分以上は県外出張という旅人のような生活を20年近く続けました。 退職後、愛媛を紹介する本を友人と作ったことをきっかけに、自分の「夢」と愛媛の魅力を再発見。地元出版社で編集のイロハを学び、現在は自らを「ことばのデザイナー」と称しフリーで活動中。書く、作る、伝えることに力をそそいでいます。

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