日本遺産「鞆の浦」#6 坂本龍馬の足跡をたどる!/広島県福山市【PR】

鞆の浦に遺された坂本龍馬の足跡をたどる!鞆龍馬コース


©︎VISIT鞆の浦

いま、国内外の旅慣れた大人たちから注目されている広島県福山市の港町「鞆の浦(とものうら)」。
風情ある町並みが美しいこの町は、かの坂本龍馬とも深〜い関わりがあるのです。

日本初の蒸気船同士による衝突事故であると同時に、日本初の万国公法による海難審判事件といわれる「いろは丸事件」をきっかけに鞆の浦を訪れ、身分を隠しながら数日間滞在した坂本龍馬。それは、龍馬が京都で暗殺される約7ヵ月前の出来事だったといいます。
そんな鞆の浦には、龍馬の足跡がしっかりと遺されているのです。

今回は、鞆の浦に残された龍馬の足跡をたどりながら、歴史ロマンに浸るモデルコースをご紹介します。

>VISIT鞆の浦|日本遺産・鞆の浦を紹介する公式HPがオープン!


会えたらラッキー! 鞆龍馬が観光客をおもてなし


©︎VISIT鞆の浦

龍馬の足跡を辿る今回のモデルコースを教えてくれたのは、「鞆龍馬おもてなし隊」の隊長・大西公孝さん。坂本龍馬に扮し、ボランティアで観光客をもてなしています。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の放映を機に「鞆龍馬おもてなし隊」の一員となった大西さん。土日祝を中心に『桝屋清右衛門宅』を担当することが多いそう。龍馬愛あふれる鞆龍馬と、ゆかりの地をめぐる旅に出発です。


いろは丸事件を深く知るためにはまずここへ『いろは丸展示館』


©︎VISIT鞆の浦

1867年、鞆沖合で坂本龍馬を乗せた海援隊の船「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突。いろは丸は積み荷もろとも沈没してしまいます。
館内には、5回におよぶ潜水調査によって引き揚げられた遺物のほか、衝突事件に関する考察をイラストや写真で紹介。いろは丸の沈没状況を再現したジオラマも展示されています。

いろは丸展示館
住所/広島県福山市鞆町鞆843-1
電話/084-982-1681
https://visittomonoura.com/2020/01/1442/


坂本龍馬がひそんだ屋根裏の隠し部屋『桝屋清右衛門宅』


©︎VISIT鞆の浦

「いろは丸事件」をきっかけに坂本龍馬をはじめとする関係者たちは鞆の浦に上陸。廻船問屋を営んでいた『桝屋清右衛門宅』は、坂本龍馬が滞在した商家。命を狙われていた龍馬が才谷梅太郎という偽名を使用し身をひそめた、屋根裏の隠し部屋の見学ができます。
高知、京都、長崎など龍馬ゆかりの地は数あれど、龍馬が宿泊した部屋がそのままの形で現存しているのは全国でもここだけ。小さな屋根裏部屋に龍馬の気配が感じられるような気がしました。

ここで大西さんによる興味深い小噺をひとつ。
いろは丸に金塊や銃などを積んでいたと主張し、紀州藩から8万両の賠償金を得た龍馬。しかし、7ヶ月後に暗殺されてしまいます。その賠償金を元にビール会社を興したのが岩崎弥太郎。弥太郎はせめてものお詫びにと、ビールの広告に麒麟を使います。さてこの麒麟を思い浮かべてみると、頭は龍で体は馬……そう!「龍馬」じゃないですか。

史実かどうかは分かりませんが、本当だったらいいのにと思わずにいられないストーリー。時代劇俳優を志していたという大西さんの語りにググッと引き込まれてしまいました。鞆龍馬に出会ったら、ぜひ龍馬にまつわるあれこれを語ってもらいましょう。

桝屋清右衛門宅(ますやせいえもんたく)
住所/広島県福山市鞆町鞆422
電話/084-982-3788
https://visittomonoura.com/2020/01/987/


坂本龍馬が決死の談判を行った地『龍馬交渉跡(御舟宿いろは)』


©︎VISIT鞆の浦

1867年、鞆沖合で坂本龍馬を乗せた海援隊の船「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突。いろは丸は積み荷もろとも沈没してしまいます。そして、この海難事故をきっかけに坂本龍馬をはじめとする関係者たちは鞆の浦に上陸。坂本龍馬が紀州藩の船長と賠償交渉を始めたのがこの場所です。
現在は食事処・宿となっており、リノベーションされた建物で食事や滞在を楽しむこともできます。

龍馬交渉跡(御舟宿いろは)
住所/広島県福山市鞆町鞆670
電話/084-982-1920
https://visittomonoura.com/items/iroha/


龍馬も眺めた美しい景色が広がる『福禅寺 対潮楼』


©︎VISIT鞆の浦

鞆の浦観光で最も人気の高いスポットのひとつ『福禅寺 対潮楼』。『御舟宿いろは』同様、坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が談判を行った場所です。龍馬も眺めたであろう絶景とともに、いろは丸事件に関する展示資料をじっくり見学してみてください。

福禅寺 対潮楼
住所/広島県福山市鞆町鞆2
電話/084-982-2705
https://visittomonoura.com/2020/01/1155/


紀州藩士たちが滞在した宿舎『圓福寺(大可島城跡)』


©︎VISIT鞆の浦

いろは丸を沈没させた明光丸に乗っていた紀州藩の宿舎となったのが、ここ圓福寺。一般公開はされていませんが、圓福寺の座敷からの眺めは格別です。ぜひ本堂の裏手に回って景色を楽しんでください。

圓福寺(大可島城跡)
住所/広島県福山市鞆町鞆10

 

いかがでしたか?
日本遺産・鞆の浦の公式HP【VISIT鞆の浦】では、観光スポットをはじめカフェ・ランチ・お土産店・ホテル&旅館など、鞆の浦を楽しむための情報がまだまだたっぷり紹介されています。
【VISIT鞆の浦】を参考に、思い出に残る鞆の浦の旅を計画してみて!


VISIT鞆の浦
VISIT鞆の浦は、日本遺産に登録されたストーリー「瀬戸の夕凪が包む国内随一の近世港町〜セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦〜」を紹介するとともに、そこに暮らす人々の美しい日常を国内外に向けて発信するメディアです。
https://visittomonoura.com

日本遺産鞆の浦魅力発信協議会
(事務局:福山市経済環境局 文化観光振興部 文化振興課)
TEL/084-928-1278
bunkazai@city.fukuyama.hiroshima.jp

大きな地図を見る>

この記事が役に立ったらいいね!してね

関連キーワード

関連記事

この記事を取材したフォトライター

瀬戸内Finder 編集部

瀬戸内Finder 編集部

地元の皆さんからの写真や、在住ライターの記事で発信する、瀬戸内地域の観光情報サイト、「瀬戸内ファインダー」を作る編集部です。 瀬戸内海を囲む兵庫県、岡山県、広島県、山口県、愛媛県、香川県、徳島県の7県に関わる旬な情報を日々更新しています。   お問い合わせは下記まで Email : staff@setouchifinder.com

Hashtags

旬のキーワード

「アート」のランキング

「アート」の記事はまだまだあります

アート一覧

Features

特集

特集一覧
PAGE TOP