1200年祭をむかえた「四国八十八ヶ所」
みなさんは、お遍路さんは行かれたことがあるでしょうか?
2014年は、1200年をむかえる節目の年ということで、多くの人が四国を訪れました。
ところで、四国八十八ヶ所を巡る、お遍路さんは、どうして始まったかご存知でしょうか?
お遍路さんがどうして始まったかのか、その理由はまだ誰もわかっていません。
しかし、その始まりの起源とされる伝説が、愛媛と徳島の二つのお寺に残っています。
時は824年。
伊予の国、浮穴郡庄原(現在の愛媛県松山市の恵原町)に、近国に稀な豪族がおりました。
名は「衛門三郎」。
大庄屋で悪鬼長者と村人に恐れられていました。
雪模様のある日、一人の貧しい僧が訪れました。
この僧が、空海(弘法大師)でした。
弘法大師は、そのあくる日もその次の日も、衛門三郎の家の門前で托鉢をしていたのですが、衛門三郎のムチがあたって、鉄鉢が八つに割れてしまいました。
衛門三郎には八人の子供がいました。
托鉢が割れた翌日長男が亡くなり、次々8人いた子供が全て亡くなってしまいました。
これは自分のこれまでの悪業が報いだと思い、弘法大師を追って旅に出ました。
これが、お遍路さんの始まりだとされます。
旅に出た衛門三郎でしたが、20回回っても、弘法大師に会うことができません。
そこで、逆に回れば会えるかもしれないと思い、逆にまわりを始めました。
すると、現在の四国八十八箇所12番札所焼山寺近くで力尽き病に倒れてしまいました。
この場所が、現在の杖杉庵(じょうしんあん)です。
すると、目の前に弘法大師が現れて、「そなたの悪業はすでに消え、善心に立ち還りました。
この世の果報つきたり、来世の果報は望に叶うだろう」と申されました。
衛門三郎は「できる事でしたら、一国の国司に生まれたい」と願いました。
お大師さまは、衛門三郎の左手に「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせますと、衛門三郎は亡くなりました。
お大師さまは、衛門三郎のなきがらを埋め、形見の杉の杖をお墓の上に逆に立てご供養いたしました。
そのためこれを、杖杉庵と呼ぶといいます。
その後、江戸時代、京都仁和寺より衛門三郎に「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られました。
衛門三郎が亡くなってしばらくして、愛媛県松山市道後に昔あった、湯月城で玉のような男の子が誕生しました。
しかし男の子の手が開きません。
若君3歳の春の事です。
桜の花見の席で南に向かって両手を合せ、南無大師遍照金剛とさんべんお唱えになりました。
すると、右の手がぱっと開き、その手の中から小さな玉の石が出て来ました。
家臣が拾って見ますと、「衛門三郎再来」と書かれていました。
この石をおまつりしているのが、四国八十八箇所の第51番札所「石手寺」です。
四国八十八ヶ所を巡るようになった伝説の場所。お遍路さんで訪れた際には、ぜひ一緒にお参りください。
杖杉庵(じょうしんあん)四国八十八箇所霊場番外札所
住所/徳島県名西郡神山町下分字地中
駐車場/無料
瀬戸内Finderフォトライター 大橋 麻輝
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