鮫に助けられた娘から届く半世紀に一度の贈り物/鰐地蔵(沖家室島)

「鰐地蔵の祭りがあるんじゃが、遊びにこんかぁ。『まんが日本昔ばなし』にも登場しよる変わった地蔵様じゃ。祭りでは”ほうじょうえ”もやるけぇ」。

電話の向こうは沖家室島(おきかむろじま)。
国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」にも選ばれている、瀬戸内海の魅力がギュッと詰まったような島です。

「鰐地蔵」はそんな漁業の島ならではの仏様です。

「鰐」は「ふか」と読み、「ふか」はフカヒレがあるように「鮫」のこと。「わに」と読みたくなりますが、日本では遠い昔「わに」も鮫の呼び名の1つでした。そのため、この字があてられているのだそうです。

さて、この鰐地蔵、日本の代表的な民話をアニメ化した長寿番組『まんが日本昔ばなし』(1976-1994年放映/TBS系列)にも登場したことがある、ちょっと有名なお地蔵様なんです。

「昔、沖家室島に一人の海女(あま)がおった。毎朝早くに起きてお地蔵様にお参りしてから漁に出かける、それは信心深い娘じゃった。ところがある日、沖を潜っているとたちまち海が荒れ、岩場にしがみつくのも限界。もうダメじゃと観念したとき、どこからともなく一匹のフカが現れ、娘を背にのせて岸まで送り届けてくれたそうじゃ。あとになっての、助けてくれたフカは実はお地蔵様だったことを知り…」という話で登場します。

ありがちな昔話ですが、この鰐地蔵にはアッと驚く続編があります。

江戸中期のことです。
「沖家室沖を通る下関の商家・山形屋一行の船に、大きな鮫がピタリとくっつき離れません。これは誰か生け贄を欲しているのだろうと各自の手ぬぐいを浮かべると、こともあろうに商家の娘のものが海に沈んでしまいました。嘆き悲しんでいると、ふと船乗りの一人がかつて娘を助けたという鰐地蔵のことを思い出し、一行は “地蔵を寄贈しますのでどうかお助け下さい” と一心に祈願。すると鮫はスッといなくなり、無事下関に帰ることができました。後日、山形屋からは約束どおり石地蔵が届けられたということです」。

昔ばなし同様、にわかに信じるわけにはいきません。
ところが、この石地蔵、実在するのです!

お堂のすぐそばに並んでいるのがそれです。

この話にはさらに続きがあります。
石地蔵を数えてみて下さい。

山形屋はいっぺんに6体を贈ってきたわけではありません。
最も新しいものには「昭和五十八年」と彫られています。

まさかと思われるかもしれませんが、そうなんです。
およそ半世紀ごと、300年経った現在も!
山形屋の末裔から代々寄贈されてきているのです。

年に一度の祭りでは「放生会(ほうじょうえ)」も同時に行われます。
海に感謝し、やむを得ず殺生した生き物たちの霊を弔う儀式です。
海と生き、生かされてきた沖家室の人にとって欠かせない大切な行事。この日ばかりは島民のほとんどが集います。

お堂の横に並ぶ6体の石地蔵、放生会、また今も島民にあつく信仰されている鰐地蔵を見ていると、人と海の関係をあらためて考えさせられます。
そして、なぜ沖家室島が「未来に残したい漁業漁村」に選ばれたのか、分かるような気がしてくるのです。


【おいでませ!山口】
●鰐地蔵
お堂は浄土宗知恩院の直末寺「泊清寺」境内にある。海の守り本尊として島民の厚い信仰を集めるほか、年に一度の鰐地蔵まつりには島外からも多くの参拝客が訪れる。
住所/山口県大島郡周防大島町沖家室島260

●沖家室島
豊臣秀吉の海賊禁止令で一度無人島になるも1606年に人が住みつき、明治期には人口3,000人を超え「家室千軒」と呼ばれ瀬戸内海屈指の漁村として栄える。2006年に開島400年を迎え、同年「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれる。現在、人口150人弱。出稼ぎの島としても有名で毎年お盆になると帰省客で人口が膨れ上がり「盆に沈む島」と呼ばれる。1983年沖家室大橋が架かり、クルマでの訪島も可。

瀬戸内Finderフォトライター 藤本雅史

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