見えるのは地平線まで広がる青い海と空。聞こえるのは鳥の鳴き声と、ときどき蜂の羽音。そして、背後には城壁と見間違うほどの石垣がそびえ立ちます。立っている場所は、祝島の港から約4キロの山奥にある『平さんの棚田』です。
棚田の前で、主である平萬次(たいらまんじ)さんと待ち合わせ。中腹にある作業小屋に入ると、古い農具などが所せましと置かれています。これらの道具は平さんの祖父が使用していたものなんだとか。
平さんの祖父・亀次郎さんは大正末期の頃、「人間、米さえあれば生きていける」と原野を切り開き、棚田を作りはじめました。山を崩し、土を掘り返し、石を積む。たいした道具もない時代。素足に草履、手は血まみれ。中学校を卒業したばかりの平さんと母親が手伝いながら、亀次郎さんの晩年まで続けられました。
そして、高さ5~9mの石垣が6段、高低差にして30数mの巨大な棚田が完成。三世代が30年かけて築いた一国一城ならぬ、一家一城の棚田です。
「父も私も兄弟も、私の子どももみんなここのお米を食べて太ったんよ」
そう語る平さんはどこか誇らしげ。
「人間の価値というものは、生きている間はわからない。亡くなって50年、60年とたって、時代が移り変わって振り返ったとき、その人は偉かったというのがわかる」
当時、変人扱いだったおじいさん。それでも信念を貫き通し、三世代を食わせ、今ではその棚田を見るため多くの人が訪れます。
平さんは時間の許すかぎり、ここを訪れてくれた人と会話を楽しみます。そんな交流のなかで「人生の中で一番ええ言葉を教えてもらった」と言います。その言葉が『足るを知る』。
「まだええものはないか、まだラクなものはないか、欲望はキリがない。足るを知る。人間はこれでええ」
平さんが棚田を引き継いでから50年以上が経ちます。現在、田植えを行っているのは一番上の棚田のみ。「もの心つく前からず~っとだから、植えんと一年がたたない。一段でも植えるとホッとする」とにっこり。
それでも平さんは自分の代が終わったら、ここは原野に還るだけと言います。
「三代続けばそれでええ」…おじいさんがよく言っていた言葉だとか。
帰り際、「人生最後のお願いがある」と平さん。襟を正す私に一言。
「これからの人生、いろんなことが起こった折は、この棚田を思い出して、がんばる!って思ってください」
はいっ!!
【おいでませ!山口】
●平さんの棚田
住所/山口県熊毛郡上関町祝島
電話/080-2898-2014(上関町観光協会)
URL/http://www.kaminoseki-kanko.jp/?page_id=51
瀬戸内Finderフォトライター 藤本雅史
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